光陰如箭(こういんじょぜん)、歳月不待(さいげつふたい)、烏兎匆匆(うとそうそう)
時の経つ早さを表した四字熟語、調べてみると沢山ありました。最初のは「光陰箭の如し(こういんやのごとし)」とも読みます。最後の「烏兎匆匆」は、烏と兎がそれぞれ太陽と月に住んでいるという古代中国の伝説からきており「烏兎」は月日のことを、「匆匆」は慌しさを表しているそうです。
時が経つのは本当に早く、年々その早さが増していることを実感しています。私個人としては、今年に入ってから何故か忙しさが増し、1週間単位で時間が飛び去っているような気がしています。
私達には平等に1日24時間与えられていますが、時間の使い方が悪いからかいくら時間があっても足りません。振り返ってみるとこの数年間、何もしないでぼーっとしている時間はほぼ皆無でした(睡眠時間はしっかり確保しています)。勿論無駄なことに割り当てられている時間もかなり多いことでしょう。
私は活字を読むのが好きなので、いつも何かを読んでいます(頭に入っているかどうかは関係ありません!)。なるべく幅広い分野を読むように配慮しているつもりですが、実際には大分偏っています。笑
YouTube動画もよく見ますが、これもまたその履歴を後から見ると偏りがあります。
まあ自分が楽しければ偏っていても良いか!と納得するようにしています。。
バランスの良さを装っても、私のことをよく知る知人は鋭く見抜いており、その偏りを指摘したりします。
内心では「その通りだな」と思いながら、「本当に?」なんてカモフラージュしたりします。笑
さて、大人になるにつれ時間の流れを早く感じるようになるのは何故でしょう?

現在私が知っている説は2つです。
①ある時期における時間の長さは年齢の逆数に比例する
⇨年齢に反比例するということ。5歳にとっての1日は、50歳の人にとっての10日に当たります。
これはフランスの哲学者ポール・ジャネが唱えた心理学を用いた説です。
②時間の感じ方は代謝速度に依存する。
⇨イメージとしては、子供は代謝が早いため体内時計が早くまわり、実際に流れている時間を「まだかなあ」と先回りして待つ感じです。これが大人になると代謝が遅くなり、実際に流れる時間に体内時計がいつも追いつかず「アップアップ」しながら過ごしている。だから代謝が遅くなればなるほど(年齢が重なるにつれ)実際の時間との差が大きくなり、さらに追いつけなくなるためどんどん時間が早く進むように感じてしまう。正確な例えではないと思いますが、そんな感じでしょうか。
1日の中でも、朝は代謝が遅いため、時間が早く流れてしまいます。
遅刻する理由に代謝回転の遅さが成り立つかもしれません。笑
どちらの説にしても大変興味深いですね。もしかしたら真理は他にあるのかもしれませんが。
子供に戻ることができない今、時間の流れを緩やかに感じるような方法はあるのでしょうか。
日常に変化をつける。そしてその変化の記憶を日々新しくしていく。
これは一つの方法のようです。
確かに毎日同じルーティンをこなしているだけだとあっという間に日々が過ぎてしまいます。
自分で新しい何かに取り組んだり、日常の小さな変化を鋭敏に掴み取る姿勢を持つことで、時間の流れる相対的な感覚を緩やかにすることが出来るかもしれません。
私はいつも時間に走り去られていく気がしており、年々その距離が開いてしまっているように思います。
時間管理をもう一度見直し、スケジュールに余裕を持たせるようにしなければいけないのかもしれません。
そんな事がふと頭によぎった本日でした。
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